2011年03月15日

地震のこと その2

3月12日(土)地震の翌日
9時までに会社に行くことになっていたため、交通が混乱していると思い、家を7時半に車で出ました。7時半より少し前に会社に一番に着きました。来る途中で瓦が壊れた家、道路のひび割れ、通行止めの箇所がありました。渋滞は土曜日ということもあり、全くありませんでした。会社の中に入るとあらためて被害の大きさを感じました。

サーバーの電源が入るか確認、どれも破損してなくてよかったです。翌週からの生産に備えてできるだけのことはしました。お昼は食べるものが手にはいらないと思って、妻が握ってくれたおにぎりをあるだけ持参しました。カップラーメンだけはもらえたので、ミネラルウオーターでポットでお湯を沸かして食べました。電気は来ていてありがたかったです。水は止まってました。

夕方5時ごろ社員を帰して、自分も7時には会社を出ました。帰りは渋滞しているところがあり、何かと思ったらガソリンスタンドでした。ちょうどその後ろについて、全く進まなかったので給油していくことにしました。かなり待ちましたが、40リッター給油することができました。翌日そのスタンドは閉まっていましたので、良かったです。

帰りの車の中、東京FMを聞いていました。阪神大震災のときの経験で、子供たちを励ますためにアニメソングも流しましょうということで、アンパンマンの唄のリクエストが流れました。それを聞いて運転しながら泣きました。小さな子供たちも大勢亡くなったんだろうなと思って。

それから自転車通勤の自転車を駅で回収。ついでにスーパーに寄ってみましたが、なにもかも売り切れで、おなかにたまるようなお菓子を買っておきました。

夜12時ごろ、最後まで連絡が取れなかった会社の人から電話がありました。良かった。停電で電話も通じず、どこか基地局が壊れたそうです。茨城の人が多いので、停電や、断水、ガスも来ないということで、体調を壊したかたも居たようです。また海外へ出張へ行っていた3名も無事に帰国との連絡がありました。本当に良かった。


3月13日(日)地震の2日後
この日は通常通り休みとなりました。いろいろあって疲れたため、朝は起き上がれずごろごろ寝ていました。そこへ電話がかかってきて、内容に飛び起きて身支度して車で出かけました。

我が家から車で5分、自転車でも15分ぐらいのところに会社の人が住んでいます。海外から戻って夜中に家に帰ってみるとドアが開かずに無理やりこじ開けたとのこと。家の下に断層があるらしく、危ないので避難所で一夜を明かしたとの事でした。私の最寄駅の隣の駅、それも駅から歩いて5分ぐらいのところにあるアパートですが、こんな近くでそんなことになっているとは知りませんでした。

盛り土をして整地したところの様です。盛ったところの境目から水が噴出して、液状化したみたいでした。その断層は斜面に並行に何件もの家の真下を通っていました。すべて陥没しているのが横から見て良くわかりました。

貴重品はすでに出したのですが、ドアが閉まらなくなって、蝶番のネジをゆるめたりして無理やり締めました。我が家に数日住んでもらうことにして、家に来て風呂に入って食事をしてもらいました。そうしたところ、不動産屋から連絡があり、壊れた部屋の隣の部屋を使っても良いという話になり、荷物もあるのでその方が都合が良いからと帰っていきました。

後で連絡があり、隣の部屋は電気、水道、ガスも出て大丈夫との事。良かったです。建物自体は恒久的に住み続けるにはどうかという痛みぐあいなので、転居先をこれから探すことになりました。

夜は翌日の体制について電話で調整し、いつもの半分の人数で出社することにしました。


3月14日(月)地震の3日後
停電が予定されていて信号機が点かないと渋滞するのではないかと思い、6時半より前に車で家を出ました。東京FMからは被災地を元気づける唄が流れています。

結局停電しなかったようで、良かったです。7時半前には会社に着いて鍵を開けました。生産が再開できるようにサーバーの電源を入れ、出てきた人全員で朝礼を行いました。その後生産をどのように再開させるか話し合っていたところ、10時に大きな地震がありました。いままでの余震よりかなり大きく、1Fに居たのですが、皆机の下に隠れるほどでした。

しばらくトップの方々が協議されてましたが、なるべく早く帰宅するという結論になりました。停電に備え、前日同様電源をすべて切って帰りました。

帰ってから翌日の調整をし、部長1人が出社して協議を行うこととなりました。あとは全員自宅待機です。余震があっては復旧もままなりません。社員の方もガソリンが無いとか、交通機関が動いていないとかで出社困難になっています。

会社もそうですが、まだ被害の全貌がわからず、新たな問題も発生していて日本がこのまま復興に取り掛かれるのかとても心配です。被災された方が大勢居ます。できる人ができることを精一杯やって、国民みんなで頑張って復興して行きましょう。


posted by spirit at 14:10| 千葉 ☀| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はんぞうさんの体験も驚きましたが、spiritさんの写真も衝撃でした。

この先、何があっても「やるっきゃない」の心意気ですね。
Posted by たすけ at 2011年03月15日 22:42
やはり凄い状況下にいたのですね。
こういう時、子供達の精神的ケアも大事ですよね。
東京FMのアニソン対応、被災地以外の子供達にも効果的だと思います。
どうか、二人の娘さんのケアもお願いします。
私が言うまでもありませんが・・・。
Posted by at 2011年03月16日 00:11
たすけさんおはようございます。
震度は6強でした。今回は断層の幅が広かったので、6強の範囲が広かったですね。
津波が来た相馬の状況が気になります。
これから会社の復旧に行って来ます。
自宅待機の人も、みんなで励ましあってます。
Posted by spirit at 2011年03月16日 06:26
タルさんおはようございます。
ご心配いただきありがとうございます。
TVと違ってラジオは絶対必要な情報に絞って、後は被災地を元気付けるメッセージを流しています。
それを聞いて私も頑張ってくださいと思ったり、元気付けられたりしています。
娘たちは、まだ学校があるので今日もお弁当を持って出かけるところです。
悲惨なTVはあまり見せない様にして、一緒の部屋で全員寝ています。
Posted by spirit at 2011年03月16日 06:31
月曜日は出勤できずに自宅待機、昨日は通勤に4時間も掛かりました。柏駅入場制限で駅到着後電車に乗るのに1時間30分を要しました。

隊長も大変な状況でしたね。
これを書いてる昼休みも、ちょっとした地震がありました。
早く治まって欲しいものです。
Posted by はんぞう at 2011年03月16日 12:57
はんぞうさんの居た場所、体験に比べたらそれほどでもありません。
本当にご無事で良かった。

とはいえうちの工場、2階は使用禁止になり、今日も全ての荷物を下に下ろして業務を継続する準備をしております。
余震があるのでヘルメットをかぶって、揺れたら机の下に隠れています。
Posted by spirit at 2011年03月16日 20:58
spiritさん、こんばんは。

前のエントリーの職場の写真が衝撃的です。よくぞご無事で...。都内は震度5で私が体験したなかで最大の震度でした。震度6強の想像がつきません。

一日も早い職場の復旧、そして何よりも相馬のご同僚・ご家族のご無事を祈っています。
Posted by IKAWA at 2011年03月16日 23:03
IKAWAさんおはようございます。
都内が震度5で済んで幸いでした。
私の勤務地の方は田舎ですが、東京で振動6強が起こっていたらと思うとゾッとします。
今日も職場の復旧頑張ります!
ご無事頂きありがとうございます!
Posted by spirit at 2011年03月17日 06:17
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