2011年03月15日

地震のこと

本日は職場が休業日となり、やっと落ち着きましたので書きながら地震から今までのことを振り返ってみたいと思います。

3月11日(金)地震当日
私は勤務地のつくばでデスクで仕事をしていました。勤務地の建物は2階建て。1階は工場で、2階がオフィスになっています。一昨年の3月に竣工した新しい建物です。幅約100メートル、奥行約50メートルで、私の会社では最大の規模の工場になり、約250名が勤務しています。この建物の立ち上げから関わって来ましたので、とても愛着があります。

建物には地震が発生する前に「退避してください」と自動で放送する緊急地震速報の設備があります。初めてこれが作動したのはだいぶ前ですが、そのときは誰もなんの放送なのか知らず、ボーっとしていたら、次からは机の下に隠れる様にと指示がありました。そんなことがあったため、最近は放送があると机の下に隠れるという下地はできていました。

今回ははじめは、それほどの揺れではなく、放送も無く、それでもみな自発的に机の下に隠れました。しばらく揺れて、放送がかかりました。この時点で隠れていない人も、おそらく全員隠れたと思います。揺れが大きくなって、そろそろ収まるだろうと思ったときに、さらに大きな揺れになって、机の脚をおさえていないと怖いぐらい動いていました。私は遊園地の絶叫マシーンが苦手なのですが、まるでああいうものに乗っているぐらいの揺れでした。そして天井板の破片と思われるものが、机のすぐ脇にバラバラと落ちてきました。

揺れが収まり、机から外に出て近くの人の無事を確認。あたりを見回すと、私の真上は大丈夫だったのですが、広い範囲で天井が落ちていました。私の席の後ろには別の部屋があって、床から天井までの大きなガラスで仕切らているのですが、そのガラス6枚のうち、3枚が割れて崩れ落ち、1枚にヒビが入っていました。1枚の幅は50cmぐらいでしょうか。机の上のものはパソコンやディスプレイがみな倒れて、床にまで飛んでいるものもありました。そして天井板のホコリがかぶっていました。

そうやってしばらく呆然としていたら、また揺れがあったのだと思いますが、建物から避難することになりました。逃げながら東京の本社に報告していると、相馬の工場からも報告がありました。このとき、少し前に宮城県で地震があったことから、直感的に震源地はあちらのほうだろうと思いました。相馬とはそれを最後に連絡が取れなくなりました。停電したのだと思います。

逃げる途中にも階段のひび割れ、天井から落下した破片が目に付きます。非常口から外へ出て、広い駐車場へ集合。工場の広さの割に車で通っている人が少ないため、2つある駐車場の1つは全て空いています。先日の避難訓練でも皆ここへ集合したので勝手は判っていました。点呼を取って、全員居ることを確認しました。駐車場に立ちつくして、立っているのが危ないような余震が何度も襲ってきました。建物や駐車場の照明ポールが揺れていました。サイドブレーキを引いていない車が、移動していました。

しばらくたって、寒さを感じ出しました。いつもの避難訓練では上着をはおって逃げていたのですが、今回はほとんどの人がそんな余裕が無く、みな薄着のままでした。それでも建物に戻るわけに行かず、しばらく待っていました。代表者が戻って上着を取ってきても良いとなったのが、1時間半後ぐらいでしょうか。内部はひどいことになっていました。他に伝えるために撮っておかねばならないと思って、カメラを出して撮ったのがこの写真です。

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これで全員怪我がなかったのが不思議なぐらいです。中越地震から、キャビネットは高いものは置かず、連結するという方針が徹底されていたため、動いた程度で済んでいます。天井は広い範囲で落ちています。真下にいた方は、机の下で助かったそうです。2Fも1Fと同じように工場の様なつくりで、それを隠すために天井のパネルを上からつっているような構造になっています。あまりの揺れで、つっている部分が外れてしまったのだと思います。

上着を各自に届けて、そのあともしばらく外で避難していました。雨がポツポツ降ってきましたが、ほんの少しで良かったです。5時ごろに全員1Fに入ることになりました。2Fから直接階段で外に避難したため、1Fはこのとき初めて見たのですが、たいして被害が出ていない様でした。会社が手配した各方面行きの大型バスやお互いの車に分乗して社員の人は帰っていきました。私は明日からどうするかの話をするためにしばらく残っていました。幸い近所に住んでいる同僚が、車で送ってくれることになりました。

7時ごろ全員帰ったのを見届けて、帰ることになりました。もう1人南柏の人も一緒です。車でどこまで行けるか判らないので、その人の折りたたみ自転車をトランクに積みました。このときまで、家に何度も電話していましたが全く通じず、メールの返事もありませんでした。会社のIP電話は他の拠点には良くつながりますが、外線となると「おかけになった地域の。。」という放送が流れるばかり。とても心配でした。情報はネットから3G回線で割りと普通に見ることができました。中でもTwitterはリアルタイムにいろいろな情報が見れました。江戸桜さんがちょうど病気で会社を休んでいたので、家の近所の状況を聞いたりして大変助かりました。

同僚の車でそうやって情報を取りながら、小貝川の手前まで来たところ、大渋滞となりました。稲豊橋の手前から車が動きません。橋を渡るのに1時間ぐらい、橋からの坂を下りるだけで1時間ぐらいかかりました。この間にやっと妻とメールが繋がりました。無事と聞いてホッと安心しました。南柏の同僚は、これ以上止まっているよりは自転車の方が早いかもと、自転車を下ろして別れることになりました。いつも稲豊橋から家まで10km、30分の距離なのに、この日は無限にあるように感じられました。

たすけさんや東葛人さんに教えてもらった、自転車で走っている裏道を知っていた私は、同僚に提案し、細い道をすり抜け、普段通勤で勝手知ったる守谷の裏道を駆使して新大利根橋に出ることができました。やはり新大利根橋からずっと渋滞していました。ナンバーを見ると土浦が多かったので、家に帰る人よりは帰れなくなった人を迎えに来ている人で渋滞したのだと思います。千葉県に入ったときに、家に帰って家族の無事な顔を見たときは本当に安心しました。22時前に帰宅。車でいつもの3倍ぐらいの時間がかかりました。

後で聞いたところ、バスで会社を出発した人は我々と同じ渋滞にはまり、帰り着いたのが3時過ぎだったとのこと。また、都心にお勤めの方はいわゆる帰宅難民となり大変なご苦労をされたとのこと。本当にお疲れ様でした。この日は余震が続いたり、考え事をしたりで良く眠れませんでした。翌日は職場を復旧するために7時半までに出社することになりました。

つづく。
posted by spirit at 10:51| 千葉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
spiritさん、ご家族ともご無事でなによりです。私は、11日は、いよいよ折り畳みバイクの登場をとマンションの外に出てみましたら皇居のお花見時の人出などは問題にならないくらい歩道を人が埋め、歩く人は押し流され車道は全く動かない状態でした。結果、治療院に泊まり翌日我孫子まで電車、後は取手まで徒歩で帰りまた、東京に月曜から泊まり込んでます。2月から自転車には藪用が多く乗ってません。乗れずストレス、揺れてストレス。世界が恐れているレベル6状態の原子炉・放射能。まだまだ余震も心配です。のんびりブログを読まして頂ける日が早く来ること祈ります。
Posted by エド at 2011年03月16日 23:44
エドさんおはようございます。
自転車があっても都内はそんな混乱でしたか。大変でしたね。
泊まりこみもお疲れ様です。
他の人を治療する尊いお仕事頑張ってください。
Posted by spirit at 2011年03月17日 06:13
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